有本さんの母に突如もたらされた情報。 消息が分からなかった娘のことが書かれた手紙の消印はポーランドだった。 監視の目をくぐり抜け、必死の思いで外国人観光客に託したと思われるその手紙には 石岡さん、有本恵子さんらの無事が記されていた。 拉致被害者の1人・有本恵子さんは北朝鮮が死亡と断定したものの、不可解な点が多く、家族は現在も帰りを待っています。 今回は拉致被害者・有本恵子さんの出身高校や大学、拉致の経緯や手紙、父と母など家族と現在をまとめました。 この手紙によって行方が分からなくなっていた有本恵子を含む3名が北朝鮮にいることが判明したのです。しかし松木薫については、その手紙に正確な住所が記されていなかったため、家族には時間が経ってから知らされました。
その手紙を日本まで届けた人物たちも同様である。しかし手紙は彼のために命を懸けた者たちの手によって、日本にわたってきた。 手紙は同じく北朝鮮に拉致された有本恵子さんのご両親のもとに届けられた。実は有本恵子さんは北朝鮮で石岡さんと結婚してこどももいた。 この手紙によって行方が分からなくなっていた3名が北朝鮮にいることが判明した。 石岡・有本家は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に 助けを求めることにした。 そして有本さんの両親が社会党土井たか子に相談。 1988 年に北朝鮮に拉致された石岡亨さんが手紙を外国人に託し、その手紙が 8 月 13 日付ポーランド消印で有本恵子さんの家族の許に届きました。石岡亨さんは手紙のことがバレたら殺されるという身の危険を冒してまで手紙を書き、北朝鮮に拉致されたことを家族に知らせたかったのです。
拉致被害者の石岡さんと有本さんが亡くなったのは手紙の存在を伝えた 1ヶ月後なんですからね。 その14年後に小泉首相と当時は副官房長官だった安倍首相が北朝鮮に行って あきらかになったようですね。 しかし手紙は彼のために命を懸けた者たちの手によって、日本にわたってきた。 手紙は同じく北朝鮮に拉致された有本恵子さんのご両親のもとに届けられた。実は有本恵子さんは北朝鮮で石岡さんと結婚してこどももいた。 1983(昭和58)年に北朝鮮に連れ去られた拉致被害者、有本恵子さん(60)=拉致当時(23)=の母、嘉代子さんが3日、心不全のため死去した。 この手紙によって行方が分からなくなっていた有本恵子を含む3名が北朝鮮にいることが判明したのです。しかし松木薫については、その手紙に正確な住所が記されていなかったため、家族には時間が経ってから知らされました。石岡・有本の家族は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにし、 有本さんは1983年に留学先のロンドンで失踪。よど号ハイジャック犯の妻2人の工作で北朝鮮に連行されたと見られている。北朝鮮は、「1988年にガス中毒で一家3人全員が死亡した」と説明しているが、証拠は提示されていない。
北朝鮮 の発表:死亡 ... * 1988年9月、亨さんから実家に手紙が届く。「事情あって有本恵子さん、松木薫さんと3人で平壌で暮らしている」と伝えてきた。 * 失踪直前、よど号ハイジャック犯の妻と一緒にバルセロナで撮影した写真が残っている。